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他人に与える小さなフィードバックこそが人類愛かもしれない話

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人間というものは危機管理と防衛本能によりネガティブな記憶の方が強く残りやすいみたいですが、

たまに他人からいいフィードバックをもらうこともあるし、それが幸福感をもたらしてくれるということはつい忘れがちですね。

いきなりなんの話やねん、って感じですが。

普段生活しているとなかなか気づきにくいですが、
その人が「毎日意識してなくてもなにげなく続けられること」こそその人の才能であり、

だからこそ他人からのフィードバックを受けないと本人が自覚できないことって沢山ありますよね。

私は数時間で2-3000文字を書くことに何も苦痛を感じないのですが、それが苦痛に感じる人は多く存在していることでしょう。

だから人の良い面、特異(得意)な面に気づいたのであればそれは恥ずかしがることなく声にだしたほうがいい、ブログに感銘をうけたのならお問合せからコメントする、ということが人を簡単に幸せにできる方法なのかもしれません。

人を褒めることは無料で簡単に配れる愛なのだなと実感させられたのです。以下に具体的なエピソードを。

目次

公民館で知らないおじさんにピアノを褒められた話

私がとある大学の音楽専攻を受験しようとしていたときの話です。

その大学では受験科目としてピアノ演奏が必須であり、私の家はピアノがなかったので、定期的に公民館のホールにあったピアノを無料で借りて練習していました。

受験のプレッシャーで陰鬱なメンタルのなか、ある日一人の初老のおじさんが近づいてきて
あなたのピアノはなんともやわらかく優しくて女性らしくて素敵な音ですね
的なフィードバックをくれたことがあります。

もちろん私のそのときのピアノスキルは素人同然であったにも関わらず、このおじさんは私のピアノに感銘を受けたらしいのです。

優しい世界!

結果的に音大には落ちましたがおじさんの一言は今でも忘れられません。

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しょうもない私の4コマ漫画を楽しみにしてくれる人がいる話

フィリピンのセブにいたときに現地で色々カルチャーショックを受けることが多かったので、

それをネタに筆で紙に4コマ漫画を描いていたものをインスタグラムに適当に載せていました。(アカウントは鍵垢)

誰のために書くわけでもなくただ適当な趣味として描いていたものの、

とあるタイミングで知人からメッセージをもらうことがあり、更新を楽しみにしている、的なことを言われたことがあります。

もちろん私の画力は本当に壊滅的だけど、それでも(お世辞だとしても)更新を楽しみにしてくれる人がいるのは嬉しいです。またちょっと再開しようかなという気持ちになりました。

(描きたいネタは沢山あるけれど、如何せん画力のなさにイライラする)

何かアウトプットした人へのフィードバックというのはモチベーションの意味で大いにインパクトがあります。

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私のこんなブログからでも誰かの行動のきっかけになれた話

ブログを書いていると、お問合せからメッセージをもらうことも少なくありません。

たとえば再受験して学歴コンプレックスは解消されたのかという話というブログから相談を受けたこともあります。

またイギリスのYMS(ワーホリ)に関してのブログを書いているのですが、

私がイギリスで就職したという記事をみて、実際お問合せから連絡をいただいたことがあり、後日「(私の)ブログを読んでYMSに踏み出す勇気がでた」というようなフィードバックをもらったこともあります。(これはなんというブログ冥利・・・!)

このブログではないけど他のブログでとある漫画の感想を書いたら「紹介してくれてありがとう」と言われたこともあります。(全然そんなフィードバックが来るなんて思いもしなかった)

ちいさな世界の片隅からの発信が誰かの励み・力・ちょっとした娯楽?になれるのは本当に嬉しいです。どんな人が読んでるかなんて想像もつかないしね。

思い返せば昔からヒントはたくさんあった話

なんとなく近日記憶がフラッシュバックしてきました。

中学生の頃の担任の先生から「学級日誌の文章が独特だね」といわれたことがありましたし、

浪人時の予備校の授業のアンケートで自分のことをディスった短歌を古文で書いたら大勢の前で(匿名とはいえ)発表されたこともありました。

もう一つ大学のレポート提出日に何もしていないことに気づき、ばーっとそのテーマ(労働法かなんか?)について他の複数の大学の教授の論文をいくつか切りはりして提出したら、

これまた400人ぐらいいる大学の授業の中で、いきなり教授が「この中でXX(私の苗字)さんっておるか?、僕はいままでこんな素晴らしいレポートを見たことがない、ぜひお目にかかりたいから、名乗り出てくれ」と言われたことがありました。(10年以上前の話だから時効!)

なにかしら「文章を書く」ということに関しては昔からちょっと人と違っていたのかもしれません。

会社でRecognitionしている話

他人に与える小さなフィードバックこそが人類愛かもしれない、という点でいうと今の会社にはRecognitionのシステムがあり、誰かが良い業績を残したり、いい行いをしたらオンライン上で感謝状を送れるような仕組みがあります。

たとえば緊急のプレゼンテーション要求をのりきった同僚に対して「あなたはこんな急なお願いに対しても乗り切る事ができた、すばらしい!」みたいなことを書いたり、もしくは書かれたり。

元来自己肯定感低め、承認欲求マシマシの人間にとってはこれがモチベーションになっていることは否定できません。

ちょっとでも、普段の会話でも、その人の得意なことに対しては言葉にするようにしています。

最後に

ChatGPTの出現により一般的な正解が簡単に手に入るようになった昨今、より「個人の体験のアウトプット」には価値が出てくるのではないかと思っています。

たとえばChatGPTに「就活の方法」を聞くよりも誰かのブログポストを見た方がよりイメージが湧きやすかったり勇気をもらえたり、と。

そんなことを思う日曜午後でした。それでは。


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